大学在学時に鹿児島レブナイズの前進であるレノヴァ鹿児島でプロデビューを果たした、出水出身の安慶大樹さん。プロバスケットボール選手として、鹿児島・香川・福島・岩手・湘南(3×3)と渡り歩き、8シーズン活動。現在は、鹿児島レブナイズのアカデミーU18のヘッドコーチとして次世代のバスケットボール選手の育成に力を注ぐ傍ら、幼稚園や小学校低学年にバスケットボールを指導する活動にも携わり<幼少期のバスケットボールの普及活動>を行っています。またプレイヤーとしても鹿児島レブナイズの2ndチーム「Red Monsters」の一員として活動(九州大会優勝・全国3位)し、国民スポーツ大会の鹿児島成年選手としても活動(2024年5位入賞)しています。コーチとプレイヤーという異なる視点からバスケットボールを見つめ続ける苦悩や大変さは想像に難くありませんが、それすら可能にするバスケットボールそのものの魅力や安慶さんの情熱の源は何なのか?お話を伺ってきました。
恥ずかしがり屋
実はバスケットボールを始める前には水泳をやっていました。さらにその前は音楽教室でピアノを習っていた時期もあります。
というのも、今ではこうやって人前で話したりすることに抵抗が少なくなりましたが、幼少期は極度の恥ずかしがり屋だったので、母親が「人前に出ることに慣れさせないといけない」と考えたようで音楽教室に通い始めました。定期的に発表会などがあったんですが、いつも私だけ隣に母親が付いてくれていましたね。それくらい人前が苦手でした。
その後小学校に上がるくらいの頃に水泳を始めました。黙々と取り組むことは性に合っていたようで、全種目一通り泳げますよ(笑)。
兄と妹が陸上をやっていたり、母はバスケット、父もバスケットとハンドボールだったりと、スポーツが身近にある家庭だったことに大きな影響を受けていると思います。
バスケとの出会い
小学生のある時、水泳部だった友達が5人ぐらい一気に辞めてバスケ部に入る、という出来事が起きました。その流れに乗ってバスケットを始めたのが小学校5年生の終わり頃でした。
友人でもある彼らのおかげでミニバスでも結構活躍でき、大会によっては優勝も経験しました。当時特にプレイで目立つような上手い選手じゃなかったんですけど、メンバーにも恵まれて中学校でも優勝したり九州大会に出たりなど、今に続く良い経験をさせてもらいました。
とはいえ当時は、バスケットボールがすごく好き、という気持ちではなくて。それでも続けていた原動力は「友達がいるから」という理由が一番でした。恥ずかしがり屋の部分はまだまだ残っていて、華やかな得点シーンに絡むプレイよりもディフェンスの方が好きでした。ボールを持つと視線が注がれちゃうから持ちたくない。すぐにパスしちゃう。一対一から得点を取る能力っていうのは皆無ですよ(笑)。
それでもやっぱりシュートを決めた時に喜びは強かったかなぁ。矛盾してますけど。恥ずかしがり屋でボールを持ちたくないからこそ、シュートを決めた試合後の帰り道では、母親の車の中で「お母さん、今日シュート2点決めたよ!」とか話していた記憶があります。
練習以外の練習
高校にあがってもバスケットを続けていたんですが、大きな転機の一つは国体選手・九州選抜候補選手に選ばれたことでした。途中から得点が取れるようになってきたこともあってバスケの楽しみが出てきた矢先の出来事でびっくりしました。
ただ、選抜に呼ばれることは嬉しかったものの実際に行くのは憂鬱でした。自分の他はすでにもう知り合い同士という環境の中で、自分だけが出水から選ばれていてなんとなく溶け込めない、みたいな。その時のコーチもとても厳しかったですし。
ただその時かな。普通の練習を頑張るのはまず当たり前で、影の努力というか、「練習以外の時間をどうバスケットが上手くなるために費やすか」いうことを考えて生活していた時期だと思います。それが「悔しい気持ち」や「活躍できないもどかしさ」、「身体能力の飛躍」や「見せない努力の美しさ」など、いろんな感情や結果を感じられたキッカケだと思います。
またその時期はSlam dunkをすごい読んでいて「天才はいるけど、自分は2倍~3倍努力しないといけないんだな」と学んだり、勇気づけられたりしていました。元々ゲームや音楽・漫画が好きだったこともあり当時のサブカルの影響を強く受けていているので、今でも大好きです。
バスケットへの姿勢を評価してもらえたこと
九州選抜の練習会では、他の選手に圧倒される部分もありつつ通用する部分もあったりしたので「やれるかもしれない!」という自信を持てたところがありましたね。そんな時に福岡大学の監督の方が特別推薦枠のお話をしに出水へきてくださいました。
中学生の時、鹿児島市内の高校に引き抜かれたチームメイトがいて「すごいなぁ!」と思って見ていましたが、その時は自分には声はかからなかった。「県外には行きたくないし、みんなでバスケやれたらいいな」と思っていた自分に、人生で初めて「うちに来ないか」と言っていただけて「影の努力を見てくださる方はいるんだな」と感じたことを今でも鮮明に覚えていますし、単純に嬉しかったです。
高校までスポーツを続けている方はたくさんいますがそこで燃え尽きちゃう方もいますし、はじめは大学で続けていても環境にうまく馴染めなかったり、大学の雰囲気に圧倒されちゃったり、地方から出ている方だと自己主張がうまくできなかったり、スポーツ以外の魅力的なものに流されちゃったり。自分の場合は、人に恵まれてここまでやってこれたっていうのは本当にありがたいと思っています。
プロデビューとその後の苦悩
大学生の時は、元々プロ志望じゃなかったので実業団のセレクションを受けていました。最終面接まで残ったんですが、結果的に落ちてしまって。面接で落ちるっていう経験がそれまで無かったので「現実にぶつかった」と初めて感じた時だったかもしれません。それまではキツイ・辛い思いはあったものの、努力すればなんとなく良い方向に進めているような人生だったので。
その後、プロの世界では当時<アーリーエントリー>という大学生でもプロ契約できる制度があったのでそこからプロの世界に入ることを決め、レノヴァ鹿児島からデビューしました。今思えば大きな分岐点だったように思います。
レノヴァ鹿児島はプロバスケットチームを鹿児島に作りたい!と願うたくさんの方々の思いから生まれたチームです。そんなチームでのプロデビュー戦は<16得点9リバウンド>とチームの中でも活躍することができ、翌日の新聞に大きく取り上げて頂けました。鮮烈にデビューのスタートを切れたことは、8年間8シーズンのプロ生活の中でも特に記憶に残っているシーンの一つです。
ただ、活躍できた時期はそこから3年間ほどで残りの期間は苦しい時期が長かったのも事実です。というのも、プロバスケットがリーグとして過渡期だったこともありルールの変更が都度なされていく中で、自分のプレイスタイルを活かすのが難しくなっているな、と感じていました。ムードメーカーとして求められている面も理解していたので、「お客さんを巻き込む」ことを意識して活動していましたが、「らしさ」が活かせず結果も出ないことに内心ではとても悩んでいました。
そして鹿児島から香川そして福島で2年目を迎える頃、初めての挫折(人間関係で悩む)を味わい、練習に行けない日が続いたことで引退を考え、鹿児島に帰ってくることになりました。その鹿児島で同年代の92年組が「もう一度レブナイズでプレーしよう」と声をかけてくれたり、お世話になった先輩がバスケの練習に誘ってくれたりしました。そしてその頃当時の社長やオーナーとお話をする機会があり「もう一度プロの舞台に立とう!」と決心し、鹿児島レブナイズに途中加入することになりました。
その後岩手でも2年プレーしましたが、契約更新のオファーがなかったことがキッカケとなり、トライアウトを受けることになりました。
選手からコーチへ
トライアウトを受けた後も「プロを続けるかどうか」を悩んでいた頃、鹿児島レブナイズのオーナー会社である株式会社Wizの山崎代表との食事会に誘って頂き、そこで「安慶くんに未来ある子供たちを任せたい」と直々にオファーをもらったことで、思い切って指導者の道を選択し、現在に至ります。
鹿児島レブナイズが「バスケット地方創生のセンターピン」となり、エンタメを軸に地方を代表する企業やヒトを巻き込んでいく、というビジョンに共感したことがオファーをお受けした大きな要因の一つです。今ではレブナイズの試合の翌日には県内の各メディアで大きく取り扱っていただいて、少しずつですが地域をもあり上げていくことが出来ているかな、と実感しています。
現在はアカデミーU18のヘッドコーチに就任したことで、改めて指導の難しさを痛感している日々です。当たり前のことですが自分がプレイするのとは違うので、一人一人のことをまずは知る、ということを心がけています。それはバスケットに関わることでも、そうでないことでも。自分の中では先を見据えた上での、確固たる自信のある指導でも、成長著しい子どもたちにとっては不安に思うこともありますし、バスケットだけでなく心も成長している最中なので、コミュニケーションが練習と同じくらい大切だと感じています。人前で話すのは相変わらず苦手ですが、それでもみんなの前で話す、伝える、説明する、ということを意識して指導に向き合っています。
私が指導しているU18の中にはすでに活躍している選手、これからが楽しみに選手がたくさんいます。この中からプロの選手を輩出することが当面の目標です。また幼稚園からバスケットボールを学べる環境づくりにも取り組んでいるのでその継続と、何よりいつかはB.LEAGUEでコーチングできるようにこれからも日々の勉強に取り組んでいきたいと思っています。鹿児島レブナイズは、たくさんの方々に応援していただけるよう様々な交流をしていますので、機会がありましたらぜひ参加していただけると嬉しいです。
出水そしてLifenseについて
—–出水はどんなところですか?
自然が豊かで地のものが美味しい。
皆さんが手を取り合って協力し合う素敵な街です。
—–出水市あるいは北薩のおすすめスポットは?
BASE /こあら食堂/うさぎ食堂/GORILLA KITCHEN/BAYBERRY(ベ
イベリー)プライベートサウナ&スパ/茶ノ花
—–読者の方に一言お願いします。
出水の皆さん、鹿児島の皆さん。はじめまして、安慶と申します! 出水出身としてバスケットボールを通じて、子供たちに刺激を与えたり環境を整えたりすることをできるように頑張って参りますので、今後とも応援していただけると嬉しいです!出水らしさが文化となり、次世代の子供たちがいろんなことにチャレンジできる。そんな環境が整えられたら面白いなぁと思っています。 皆さんで協力しあい、素敵な街づくりをしていきましょう!
DATA
安慶 大樹<Instagram>
@ankei.daiki
写真:柏木 直紀
文章:松島 晋也