2018年。戦前に建てられたとされる出水駅前の旅館を、姿はそのままに中身を丸っとリノベーション&コンバージョンし、新たな命を吹きこみ「GOOD LIFE MAKER 8」として再稼働させたのは、株式会社新屋建築の代表取締役を務める出水の町大工、新屋祐一さんです。住民から「8(エイト)」と呼ばれ親しまれるその場所はチャレンジキッチン機能を有し、そこから実際に巣立ち独立した飲食店は今もそれぞれしっかり大人気繁盛店に。また近年、パッシブハウスづくりに心血を注ぐ新屋さんの並々ならぬ思い。一人の町大工がいかにして人を、町を、元気付けるようになったのか?新屋さんのこれまでとこれからについて伺ってきました。
飲食から大工へ
父が町大工の棟梁だったのですが、私は高校卒業と同時に飲食の道へ進むため大阪に就職しました。今思えば刷り込みのようですが、母は父とは別の道へ進みなさい、といった空気を作っていたのだと思います。寒い冬、暑い夏の外作業は当たり前。サラリーじゃないから毎月決まった給料が入ってくることもない。1年の内に建築した数軒分が年に2回くらいドーンと入ってくる。そういった状況を息子に経験させたくなかったんだと思いますし、自分自身も当時は避けていたように思います。
ただ、大阪に就職して4年くらいかな?飲食業にも慣れてきた頃、お盆に出水に帰省するとちょうど父の建てた親戚の家が上棟を迎えたタイミングでした。父に命ぜられ私は上棟式で行う餅まきの手伝いに行くことに。今思えばそれが全ての始まりでした。
上棟は住宅を新築する工事の中でも一番の花形の日。屋根の上から餅を撒きながら見たその風景は、みんなが笑顔で集まってきていて「なんだこれ、めっちゃいいじゃん」って。言葉で教えられるというより、文字通り体感しちゃった、という感じ。
上棟式も終わって父と車で帰っていると道中に「この家もオレが造った」「ここは●●年前だったかな」と嬉しそうに教えてくれたことを覚えています。その頃、飲食業に一定の楽しさを覚えてはいたものの、料理を作る~食べ終わったものを下げる・洗う~次の仕込みをする、といったサイクルとその分業化された状況を照らし合わせてみた時に、父の仕事がとても誇らしく思えてきました。当時その足で大阪の職場に退職願を出し、両親に頭を下げて「弟子にしてください」とお願いしました。今思えば、お盆の日に上棟式を手伝わせたのは、跡を継がせたい父の計画だったのだと思います。
弟子時代から法人化まで
弟子になってからひたすらに経験を積むことになるんですが、父とはよく現場でもバチバチ喧嘩していました。現場のやり方や作り方、これからの家づくりについてなど意見し合い、とにかくぶつかっていました。お客さんの顔を知っていれば尚更、私に経験がないからといって意見を取り下げたりなどできない。昔ながらの方法や理論もわかるけれど、技術革新が進むものも理解をしたい、と私も思うことは全力でぶつけていました。もう、男同士の本気の喧嘩。
そうやって切磋琢磨しながら進んできましたが、2014年にいよいよ法人化し、株式会社新屋建築を設立したことで、私が代表者になってからは父は一切口出しすることはなくなりました。周りからは「こんなに早くに任せられるのは凄い」と言って頂けたりしましたが、思えば父は代表者になるまでには全部を伝えよう!という思いで私を育ててくれたのだと思いますし、認めてくれたからこそ法人化した後は口出しをしない、と決めていたんじゃないでしょうか。
リノベーションとの出会い
そんなある日、同級生から家づくりの相談を受けました。打合せの時に同級生の奥様から「リノベーションできますか?」と言われ、実はその時初めて耳にする言葉でしたが「できますよ」と答えてそれから猛勉強することに。その時にたまたまヒットしたのが『リノベーションスクール』という何やら自分が抱えている課題が一発で解決しそうなナイスワードで。実際は自分が学びたかった『リノベーション』では無かったんだけど結果それが私には良かった。
読み進めると全国で社会問題となりつつある街の衰退化の指標『シャッター街』を題材にチームで事業計画を立て街を再び活性化するという内容で。以前から出水もだいぶシャッター街化は進んでいたし、出張で新幹線を利用する度に他の駅と比べて出水の駅前はだいぶ寂しいなぁと感じていて、どうにかならないの?と危惧していた事もあり思い切って参加してみるコトに。コレはほんと参加した人にしか伝わらないんだけどスクールが終わる頃には慣れない事業計画で寝てないしアドレナリン出まくってるわでそうなるともうスイッチ入っちゃって。
そこから出水駅前に事務所を開きたいと思うようになり、タイミングよく今の「8(エイト)」を作ることになるっていう。たまたまだけど、リノベーションっていう概念を自分の中にインプットしてすぐにそれを落とし込める駅前のエリアに辿り着いた。
あれから丸っと6年が経ちますが「8(エイト)」のチャレンジキッチンから独立するお店も出てきたし、通りにはお店が少しずつ増え、若い人たちが歩いているのを見かける様になりました。「8(エイト)」は私のちょっとした一石に過ぎませんが、そのことがやがて波紋をつくり理解者や賛同してくださる方が増えたお陰です。また、リノベーションそのものを説明するよりも見せた方が早いし、広めるための装置として取り組んだのも大きな原動力の1つです。
2023年1月の電気代
覚えているかどうかわからないけど、2023年の1月の電気代が急にボンと上がりました、ひと月だけ。床暖房推しのメーカーさんとかの家は5万~7万という話を聞いて、なんだそれは、と。気になって調べてみると電力会社の方で再エネ賦課金とか燃料調整費っていうものに行き着いた。この先のエネルギー高騰のことを考えると、今まで通りの家づくりをしていてはエネルギーに関する費用が重くのしかかってくることは明らかでした。さらに調べていくと「パッシブハウス」という考え方に辿り着きました。
エアコンはほとんど要らないし、エネルギーをとにかく使わずお日様の力を最大限に生かす家づくりでした。2050年のカーボンニュートラル宣言や年間2~3%ずつの物価上昇率を目指す政府、エネルギーコストを予測する団体など知れば知るほど、私自身はこれからの家づくりの選択肢に「パッシブハウス」は必須だと思うようになりました。生涯に支払うエネルギーコストを計算してみると驚愕するはずです。
これから取り組みたい家づくり
今インタビューを受けているこの家が世界基準の「パッシブハウス」クラスですが、室温に温度ムラがない。外壁やガラス面に工夫がありますが、どれも熱効率から選ばれ理にかなった建材で造られています。また温度ムラがないというのは、エネルギーコストがかからないだけでなく、健康面においても有益だということが証明されています。布団で暖かくしても寒い室温では呼吸により肺に負担がかかったり、血圧の変化が起こったり。温度ムラがない部屋は体への負担が減少することも意味しています。
※株式会社 新屋建築 2024 実績光熱費≪¥17,445-/年間総額≫
これから取り組む株式会社 新屋建築の案件を全て世界基準の断熱性能 PASSIVE HOUSE にして、この基準を下回る家づくりは後世に残したくないな、と強く思っています。「パッシブハウス」を知っているのとそうでないのとは違います。家づくりを検討されている方はぜひ一度お気軽にお越しください。
出水そしてLifenseについて
—–出水はどんなところですか?
どローカルな町だけどアクセスの良さが気に入ってます。
—–出水市あるいは北薩のおすすめスポットは?
※自身が手掛けた案件は全て
—–読者の方に一言お願いします。
2018 出水駅前に8KITCHEN という場をつくりました。それは駅前をいつも寂しく感じていたし、駅前商店街はシャッターで閉じたままの店舗が目立ち、とにかくほとんど人が歩いていない事が残念で仕方なかったから。その風景を自身の職能で活性化できないか?というチャレンジです。最後に私の好きな言葉を載せておきます。
Imagination means nothing without doing. by Charlie Chaplin
想像というのは、行動なしには意味をなさない。
DATA
株式会社 新屋建築
https://goodlife-8.jp/
株式会社 新屋建築<Instagram>
@stylehouse_eco
新屋 祐一<Instagram>
@y.sinya
写真:柏木 直紀
文章:松島 晋也